後期型マスタングに追加されたハイパフォーマンスモデルのBOSS302


4thジェネレーション・マスタングには、フォードSVT(スペシャル・ヴィークル・チーム)が手掛けたホットバージョンのSVTコブラが存在します。
GTをベースに302cuin(4,949cc)V8OHVをベースにチューニングを施し、最高出力は240hpに向上。
専用セッティングの足回り、エアロパーツなどが装備され、性能的にも外観的にも標準仕様とは大きく異なるモデルとなりました。


「フォード マスタング シェルビー GT500 価格」の中古車

01年には68年に公開されたスティーブ・マックイーン主演の映画「ブリット」のトリビュートモデルとして、映画で使用された68年型マスタングと同じダークグリーンでペイントされたマスタング・ブリットGTが限定販売されています。

99年、マスタングはマイナーチェンジを実施。
メカニズムに大きな変更はありませんが、外装は一新され、前期型のイメージを踏襲しつつボディフォルムを曲線基調から直線基調へと一新します。
また、このスタイリングの変更に伴いフロントフードに大型のダミースクープを追加。
マッスルカーらしい力強いフォルムとなりました。

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日本市場では3thジェネレーション・マスタングまでは近鉄モータースなどのフォード自動車系のディーラー網で販売されていましたが、4thジェネレーション・マスタングからマツダとフォードの合弁販売チャンネルであるオートラマ系で販売されました。

日本市場でのマスタングの販売価格はもっとも安いモデルで229万円と、シルビアやセリカなどの国産クーペとほとんど変わりがない新車価格に設定。

プラットフォームは先代モデルのものを改良したFOX4を使用しており、ホイールベースは20mmほど延長され、それに合わせて全幅もわずかに拡大しています。
改良型のプラッフォームの採用と各部のブラッシュアップにより、運転性能はブレーキ性能、衝突や横転などの安全面は時代に合せて大幅に強化されています。

ボディバリエーションは、ノッチバッククーペとコンバーチブルの2本に整理され、グレード構成もV6モデルのベースグレードと、V8モデルのGTグレードの2種類というシンプルな構成になりました。

エンジンはキャリーオーバーされた302cuin(4,949cc)V8OHV(225HP)とトーラスなどに搭載された232cuin(3,802cc)V6OHV(145hp)。
V8モデルは96年に新開発の281cuin(4,606cc)V8SOHCに換装されました。

シェルビーコブラGT500のイラストやマンガは1件、#シェルビーコブラGT500の小説、SSは0件投稿されています。

そのため陳腐化が進んでいたFOXマスタングの延命策が急遽必要となり、外装を一新するビッグマイナーチェンジを施すこととなりました。

87年に登場したFOXマスタングの後期型では、当時のフォード車に共通するエアロダイナミズムが採り入れられ、SVOに似た2灯式のヘッドランプが与えられています。
さらにはエンジンラインナップも140cuin(2,294cc)直4SOHC(90HP)と302cuin(4,949cc)V8OHV(225HP)の2本に整理。
それに合わせて全車インジェクション化を果たしました。

ハイパワーなV8エンジンを搭載したマスタングの復活に米国のマッスルカーファンは歓喜し、モデル末期でありながらFOXマスタングは売り上げを伸ばすことに成功しました。

フォード社は80年代後半にFOXマスタングのフルモデルチェンジを計画します。
モデルチェンジに当たってフォード社は、マツダとの共同開発によりカペラをベースにしたFFクーペを次世代マスタングとしてデビューさせることを企図します。

しかし、「マスタング」という車名に強いこだわりを持つ北米フォードの社員から「日米合作車、それもFF車に偉大なマスタングの名前を与えるわけにはいかない!」との激烈な反対運動が社内で巻き起こったため、フォード社上層部はマスタング後継車としての開発を見合わせ、開発中のモデルは「プローブ」として発売することとしました。

【アメ車】最上位シェルビーGT 500の装備がヤバすぎた ..

厳密に言うと5thジェネレーション・マスタングのスタイリングは64〜66年型だけをテーマにしているわけではなく、リアセクションのスタイリングは65年型ファストバックのそれを連想させますが、フロントマスクはその改良型である67年型、リアクォーターウインドウを用いたの処理はシェルビーGT350(標準のファストバックはルーバー処理となります)と、1stジェネレーション.マスタングの各モデルからモチーフを散りばめることで成立しています。

84年、マスタングのスポーツ路線復活を決定づけるハイパフォーマンスモデルが登場します。
マスタングSVO(スペシャル・ヴィークル・オペレーション)と名付けられたこの車は、SCCAやIMSAなどのレースカーを製作するフォード社のモータースポーツ部門が手掛けたスペシャルモデルで、パワーユニットは175hpを発揮する140cuin(2,294cc)直4SOHCターボを搭載。
組み合わされるギアボックスは5MTが標準装備となり、LSDや4輪ディスクブレーキ(マスタング初の装備)、コニー社製ダンパーが標準装備とされるなど、本格的なスポーツモデルとして開発されました。
また、外装はフロントマスクがグリルレスとなり、大型2灯式ヘッドランプを備えるなど、コブラやGTとは異なるヨーロピアンテイスト溢れるルックスにまとめられています。


2007年型 フォード マスタング シェルビー GT500 #アメ車 #ShelbyGT500 #シェルビーマスタング ..

FOXマスタングのスタイリングは、アメ車らしい抑揚のあるマスタングIIのものから一転し、ヨーロピアンルックのエアロダイナミズムを追求したシャープなラインが特徴としており、歴代モデルの中で唯一となるスラントグリルを採用しています。
デビュー当初はマスタング伝統のアイコンがことごとく姿を消したことから、ファンの間で賛否を巻き起こしましたが、結果的には斬新なフォルムが受けて発売初年度だけで37万台を販売するヒット作となりました。

ボディバリエーションは発表当初はハッチバックとノッチバックだけでしたが、ほどなくマスタングIIで話題を呼んだTバールーフも追加されています。

グレード構成はベースグレードの「ハッチバック」と「クーペ」を基本に、上級グレードの「ギア」、スポーツグレードの「コブラ」というラインナップとなります。

フォードが史上最強の「マスタング・シェルビーGT500」を発表

商業的にはけっして成功とは言えなかったマスタングIIの跡を継ぐモデルとして79年に誕生したのが3rdジェネレーション・マスタングです。

オイルショック以降続いていたユーザーの小型化・低燃費指向を受けて、マスタングIIに引き続きコンパクトラグジュアリー・コンパクトとしてまとめられましたが、ボディサイズとホイールベースはわずかに拡大しています。
プラットフォームは同時代のフォード製乗用車に多用され、軽量シンプルに設計されたFOXプラットフォームを使用したことから「FOXマスタング」の愛称で呼ばれています。

2007年型 フォード マスタング シェルビー GT500 #アメ車 #ShelbyGT500 #シェルビーマスタング.

原点回帰をコンセプトとしたマスタングIIは、デビュー初年こそ38万5,993台を販売しましたが、やはりイメージリーダーとなるハイパフォーマンスモデルの設定がなかったことが販売に響き、2年目となる75年型モデルの生産台数は18万8,575台に半減。
事態を憂慮したフォード経営陣は、カンフル剤としてマスタングのイメージリーダーとするべくスポーツグレードを発表します。
それが75年に追加されたマスタング・コブラIIです。

コブラIIはMach1をベースに、エアロパーツと専用のボディデカールで武装したモデルで、パフォーマンスは302cuin V8OHV搭載車と変わりはありません。
すなわち「カタチだけのコブラ」だったのですが、スポーツモデル冬の時代ということもあり、市場は概ね好意的に受取ったようです。

これに気を良くしたフォード社は、マスタングIIファイナルイヤーとなる78年にキングコブラを発表します。
ボディはより派手さを増したエアロパーツを纏い、カウルフード(ボンネット)に巨大なコブラのイラストが描かれ、専用のメッシュホイールを吐いたキングコブラは一定の人気を得て、マスタングIIの最後を飾りました。

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マスタングIIのスタイリングはイタリアのカロッツェリア(デザインスタジオ)のギア社が担当し、ロングノーズ・ショートデッキ、3分割リアコンビネーションランプなどの伝統的なフォルムを残しつつ、当時流行していたコークボトルラインを取り入れています。

ボディバリエーションは、安全規制の強化からコンバーチブルがカタログから落とされ、ノッチバッククーペとクーペのみとなり、グレードはノッチバックがベースグレードの「クーペ」と上級グレードの「ギア」、ハッチバックがベースグレードの「ハッチバック」とスポーツグレード「Mach1」となります。

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こうしたユーザーの声に応えるように、69年秋から開発がスタートした 2ndジェネレーション・マスタングでは「原点回帰」を合い言葉にボディサイズを大幅にシュリンクすることを検討します。
しかし、当時の米国の自動車産業には「車のサイズは拡大されるべきものであって、絶対に前モデルより小さくしてはならない」との不文律がありました。

しかし、アイアコッカは豪腕により社内に溢れる不満の声を抑え込み、サブコンパクトカーのピントのプラットフォームを流用して開発を断行。
全長は475mm、ホイールベースは320mmも一気に短くしたのです。

車名もあらたに「マスタングII」に改名して74年型として発表しました。

開発を担当したのは初代モデルと同じくハロルド・スパーリック。
アイアコッカと個人的に親しい関係にあったアレッサンドロ・デ・トマソもマスタングIIの開発に際して助言を与えたと言われています。
※アレッサンドロの妻・イザベルはGM創設メンバーの孫娘で、米国の自動車産業と太いパイプを持つ富豪の令嬢でした

フォード:シェルビーGT500 パフォーマンスpkg 662馬力 新車並行

「サンダーバードも、発売時には美しい車だったのに、みなさん(経営陣)はそれをだんだん大きくし、とうとう似ても似つかない車になりました。
マスタングでも、同じことをしています。
小さい車をなぜ小さいままにしておくことができないんですか。
大きくしては新車を作り、大きくしては新車を作る。
ムダだと思いませんか?」
(リー・アイアコッカ著/徳岡孝夫訳「アイカコッカ わが闘魂の経営」ダイヤモンド社刊より)

これは68年のフォード社株主総会でひとりの女性株主によるフォード経営陣への批判の言葉です。

記録的な大ヒットを飛ばしたマスタングが、その後エンジンパワーが増し、車体が大きく・立派になるのと反比例して販売台数が減少した理由を端的に表しています。
すなわち、ユーザーはコンパクトで魅力的なマスタングを求めていたのに、フォード社は利益率を高めるために大型化・高級化して凡百のアメリカ車と変わりがない車にしまったわけです。
完全な経営判断の誤りでした。

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排ガス規制によって牙を失い、大きく重くなった車体はスポーティカーとしてのマスタングのイメージに致命的なダメージを与えました。
その結果、15万台/年と販売台数はビッグマイナー前とほとんど変わりがなく、フォードが期待したようなV字回復を果たすことができませんでした。

妻を誘拐された元レーサーが、名車であるマスタング・シェルビーGT500スーパースネークを駆使し決死のカーチェイスに挑むカーアクション。

ボディバリエーションはHT、スポーツルーフ(ファストバック)、コンバーチブルの3種類。

パワーユニットは、250cuinz(4,097cc)直6OHV(145hp)を標準に、302cuin(5,000cc)V8OHV(210hp)、351cuin(5,752cc)V8OHV(285hp)、同BOSS351(330hp)、429cuin(7,030cc)V8OHVコブラジェット(370hp)、同スーパーコブラジェット(375hp)、同スーパーコブラジェット・ラムエア(375hp)が用意されました。
さらにカタログには載っていないスペシャル・エンジンとして、レーシングユニットのBOSS351をベースにレギュラーガソリン仕様とした351cuinV8OHVコブラジェット(280HP) も存在しました。

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搭載されるエンジンは140cuin(2,294cc)直4S(88hp) と170cuin(2,786cc)V6OHV(109hp)、302cuin(4,949cc)V8OHV(140hp)などマスタングIIからキャリーオーバーされたものが中心でしたが、それに加えて140cuin直4SOHCターボエンジン(コブラに設定)も新登場。
このターボエンジンは4気筒ながらV8に匹敵する140hpの最高出力と燃費性能を両立させており、新時代のマスタングに相応しいパワーユニットとして人気を集めました。
80年型では6気筒エンジンがV6から新開発の200cuin(3,277cc)直6エンジンに置き換えられました。

この結果、新型「シェルビー・GT500」の最高出力は650馬力となり、最高速度320km/h以上という凄まじい動力性能に仕上がっている。

71年、マスタングは3回目のビッグマイナーチェンジ(通称・ビッグマスタング)を実施し、車体はより大きく、重く、スタイリングはますます派手になります。
また、それまで不変だったホイールベースはこのモデルになって26mm延長され、2,769mmとなりました。

スタイリングは68年型に続いてラリー・シノダが担当。
バンキーの好みを反映してフラット感を強調した力強いフォルムとなっています。
しかしながら、ヘンリー・フォードとの関係の悪化から71年型の登場を待つことなく、バンキーは69年9月にフォード社を解雇され、その直後にシノダもフォード社を退職しています。