(連載6:ザ・コブラの異様すぎる凱旋マッチに「今、俺は何を見ているんだ?」>>)


――異様な展開の連続だったザ・コブラvsザ・バンピートですが、試合中にさらなるあり得ないことが起きたそうですね。


コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めること ..

1983年からジョージはザ・コブラに変身し、将軍KYワカマツをマネージャーにしてヒールになると、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスと抗争を展開、ブルース・ハートを破り英連邦ヘビー級王座を奪取していた。

「これまで、多くの不穏マッチはプロレスマニアが語り継いできていますけど、この試合はそんなレベルじゃない。何が起こっているのかわからないわけですから。なんなら、あの試合で起きた数々の不思議な出来事がきっかけで、日本全体が違う世界線に入ったんじゃないか、歴史を変えているんじゃないかなと思うくらいですよ。

コブラ、期待しちゃうな~ ザ・バンピート(デイビーボーイスミス)戦をぜひ!

8月に猪木、藤波辰己ら新日本勢が遠征に来ると、コブラは小林邦昭と組んでスミス、ブレット・ハート組と対戦、華麗な空中殺法を披露する。、この模様はワールドプロレスリングでも放送されたが、高野も新日本プロレスがとんでもない事態に陥っていることを知る由もなかった。

入場から異様なシーンが続いたザ・コブラ(ジョージ高野)vsザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)に、少年時代のケンドーコバヤシさんの頭は大混乱。しかし、試合中にもまったくの予想外の出来事が起こる。このプロレス史に残る迷勝負に、ケンコバさんはある仮説を立てた。

昭和プロレス生写真◇ザ・バンピート 吸血仮面 /Dスミス ザ・コブラ キッド. ¥999. (税込) 送料込み.

――とてつもない"問題マッチ"だったんですね。ケンコバさんはザ・コブラについて、どんな印象を持っていましたか?

ケンドーコバヤシ令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(6)後編(前編:ザ・コブラの異様すぎる凱旋マッチに「今、俺は何を見ているんだ?」>>) 入場から異様なシーンが続いたザ・コブラ(ジョージ高野)vsザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)に、…

コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務める ..

テレビ朝日が放送していた「ワールドプロレスリング」は初代タイガーマスクが引退しても、猪木率いる正規軍と長州力率いる維新軍団との抗争を軸にしたことで視聴率、初代タイガーマスクの抜けた穴を埋めていたが、初代タイガーマスクの頃とは違って若干視聴率も下がっていたこともあってテコ入れを迫られていた。

そこで目を付けたのはコブラで新日本はポスト・タイガーマスクとしてコブラを売り出すことになり、ジョージに帰国命令を出すが、カルガリーでの居心地の良さもあって本人は帰国を辞退するがm尊敬する猪木の説得もあって世話になった俊二を置き去りにして帰国、帰国時には成田空港でマスク姿のコブラが登場、インタビュアーが突撃取材をするも、コブラはノーコメントであくまで謎のマスクマンで通したが、それだけ新日本プロレスだけでなく、テレビ朝日もコブラに期待をかけるも、一部のファンは正体はジョージであることに気づいていた。


NWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦。ザ・コブラvsザ・バンピート.

ジョージ高野は大相撲廃業後、1976年に新日本プロレスに入門、1977年に佐山聡相手にデビューを果たし、特撮テレビドラマ『プロレスの星 アステカイザー』に主人公のライバル役として出演したが、菅原文太の誘いを受けて芸能界入りを目指すも、プロレスへの情熱は断ち切れず、新日本プロレスに復帰、アントニオ猪木に可愛がられていたこともあって、猪木を大きく尊敬していた。

No.127 昭和58年11月、ザ・コブラ日本デビュー戦の真実

「この事件も、ザ・コブラvsザ・バンピートがなければ......すべてはバンピートが覆面を脱いだことから始まり、そこからの異様な出来事の連続が時空を歪ませてしまったから起きたんちゃうかと思ってます。まさに日本を変えた試合です(笑)」

昭和プロレス生写真◇ザ・バンピート 吸血仮面 /Dスミス ザ・コブラ

――確かに、事実確認と検証が必要ですね。

「これまで、多くの不穏マッチはプロレスマニアが語り継いできていますけど、この試合はそんなレベルじゃない。何が起こっているのかわからないわけですから。なんなら、あの試合で起きた数々の不思議な出来事がきっかけで、日本全体が違う世界線に入ったんじゃないか、歴史を変えているんじゃないかなと思うくらいですよ。

あの試合がなかったら日本の歴史は違っていて、消費税は導入されてなかったかもしれないし、リニアモーターカーはもう走っているかもしれないし、俺もワールドプロレスリングの解説なんかをやっていたかもしれない(笑)。それくらいの"迷"勝負でした」

――とてつもない"問題マッチ"だったんですね。ケンコバさんはザ・コブラについて、どんな印象を持っていましたか?

「身体能力では、日本のプロレス史上、もっとも高かったレスラーだと個人的には思ってます。ドロップキックの高さでいえばジャンボ鶴田さんも『すごい』と言われてますし、その映像も何回も見ましたけど、コブラは毎週、そのぐらいの高さを飛んでいましたからね。

あとは、マスクの額にあった『忍』という文字も印象的でしたね。コスチュームは正統派のメキシカンのいで立ちで、ビッグマッチになったら見栄えはよかった。テレビマッチでもヒロ斎藤さんに連戦連勝していたし試合もよかったはずですが......『ブレイクした』とは言えませんでした。うまくいかなかった理由はいろいろあると思いますけど、やはり日本でのデビュー戦がすべてだったんでしょう」

――コブラは1986年6月まで新日本のリングに上がっていましたが、その直後の7月シリーズから突如、マスクを脱いで「ジョージ高野」として参戦することになります。

「そうですね。ちなみに、ある関係者から聞いた話なんですけど、あの『熊本旅館破壊事件』の決定打は、高野さんだったそうなんです」

今の時代のシステマチックなプロレスなら絶対トップレスラーになれたと思います!!!

改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きていた。そして肝心の試合となると期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピールしたため、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。
それでもコブラはドロップキックでスミスを場外に追いやると、ノータッチトペスイシーダを発射するが、スミスはかわして鉄柵へ直撃しコブラは両膝を負傷、この時にコブラは膝の半月板が割れたという。スミスは場外パイルドライバーで突き刺すが、コブラも鉄柱攻撃から同じ技でやり返し、リングに戻ってスミスはミサイルキックを狙うと、コブラも下からのドロップキックで迎撃、コブラは痛い両膝でのダブルニーからフライングラリアットを狙うが、タイミングが合わずに相打ちとなって失敗してしまう。しかしスミスのセントーンをかわしたコブラはフライング・ラリアットを決めて3カウントを奪い勝利も、フィニッシュの技にはインパクトに欠けるだけでなく技の失敗も目立って、新日本やテレビ朝日の期待を大きく裏切る結果となってしまい、肝心の試合の模様は試合途中からトペの失敗まではダイジェストで放送され、放送されたのは終盤でのフィニッシュシーンでの攻防だけだった。

謎のアストロノーツ ザ・コブラ | 今さら!昭和ノート プロレス

初代タイガーマスクや、昭和を代表する伝説のマスクマン、ザ・コブラ、初代ブラックタイガー、ミル・マスカラス、2代目タイガーマスク。
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ザ・バンピート デイビーボーイ・スミス ザ・コブラ 写真 3枚

昭和58年11月3日蔵前国技館、初代タイガーマスクが引退に伴い、空位となったNWA世界ジュニアヘビー級王座を巡ってザ・コブラとザ・バンビートの間で王座決定戦が行われた。(この試合は新日本プロレスワールドで視聴できます)

ザ・コブラを抜擢します。 凱旋帰国してデビュー戦は、マスクマン バンピートと対戦

その後コブラは割れた膝は手術せずにスクワットなどで下半身を強化して1984年に復帰したが、現在も膝は割れたままだという。コブラは「新春黄金シリーズ」に開催された「WWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」にエントリー、公式戦では初代タイガーのライバルであるキッド、初代ブラックタイガーを破る殊勲を挙げたが、優勝決定戦はキッド、スミスと三つ巴で争われ、三つ巴戦はスミスがコブラと引き分け、キッドに敗れて脱落し、優勝はコブラとキッドの間で争われたが、キッドがバックドロップホールドでコブラを破り優勝、コブラは初黒星を喫した。

『ザ・バンピート』を作ってみよう ザ・コブラの世界ハズブロフィギュア改.

コブラの正体はカルガリーマットで修行していたジョージ高野で、コブラはヒールのマスクマンとしてダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスらと抗争を展開していた。昭和58年8月にアントニオ猪木、藤波辰己ら新日本勢が遠征に来ると、コブラは小林邦昭と組んでスミス、ブルース・ハート組と対戦、華麗な空中殺法を披露、この模様はワールドプロレスリングでも放送されたが、高野も新日本が初代タイガーマスクの突然の引退で大揺れだったことを知る由はなかった。

昨年2021年の夏まで連載していました『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、初代タイガーマスクの世界を再現してみよう』のコーナー.

後年、ジョージによると「(トペ失敗)はそのまま放送して欲しかったですね、そうすればタイガーマスクと比較がわかると思うんですよ、佐山さんが新日本を辞めたばかりで、コブラはその後釜に期待されていたことは知っていたけど、だからこそあの失敗は放送して欲しかった。佐山タイガーは全部成功するキャラクター、でもコブラは成功しないみたいな。再起するキャラクターなんですよ、私はコブラのカラーを出したかったんですよ、コブラはどこが違うかって言ったら猪木さんのファイティングスピリット、決して諦めない気持ちと動きで見せるところです」と語ったとおり、初代タイガーは完成品であるに対し、コブラは未完成、だからこそ何度も敗れて失敗しても、歯を食いしばって立ち上がる闘志を見せるコブラをジョージは見せたかった。しかし新日本やテレビ朝日はタイガーマスクのようなキャラを期待していた。コブラがしくじった理由は本人の望んでいた方向と、新日本やテレビ朝日、またファンとの方向性の違いが原因だったからかもしれない。

[実況] ヒロインに全力投球 忘却マン 20 ”ポンコツ浪漫大 ..

コブラに目を付けた新日本はポスト・タイガーマスクとしてコブラを売り出すことになり、ジョージに帰国命令を出すが、カルガリーでの居心地の良さもあって本人は帰国を辞退。しかし尊敬する猪木の説得もあって帰国を決意、帰国時には成田空港でマスク姿のコブラが登場、インタビュアーが突撃取材をするも、コブラはノーコメントであくまで謎のマスクマンで通したが、それだけ新日本プロレスだけでなく、テレビ朝日もコブラに期待をかけていた。

[実況] ヒロインに全力投球 忘却マン 19 ”ポンコツ浪漫大 ..

キッド、スミスが全日本プロレスへ移籍したため、コブラはブラック・タイガーとMSGで王座決定戦を行って破り、初代タイガーマスクに次ぐNWA、WWFジュニアの二冠王となり、ヒロ斎藤と抗争を繰り広げるも、コブラの試合はテレビマッチで放送される機会もなく、ヒロとの抗争もテレビすら放送しなかった。ヒロも新日本プロレスを離脱してしまい、新日本プロレスもWWFと提携を解消したことで両王座は返上してしまった。それに伴ってIWGPジュニアヘビー級王座が新設、王座決定リーグ戦が行われ、コブラは優勝決定戦に進出して全日本プロレスから移籍した越中詩郎と対戦したが、スペース・フライング・タイガー・ドロップは飛距離が足りずに失敗し、ダイビングボディープレスも剣山で迎撃されたコブラは越中のジャーマンスープレックスホールドに敗れ王座奪取に失敗する。また越中がUWFから出戻っていた髙田延彦と抗争に入ったことで、ジュニアの中心が二人に代わってしまい、コブラは越中を破って2代目王者となった高田伸彦と対戦したが、両者リングアウトで王座は奪えず、「キング・コブラになって帰ってくる」と言い残し、ザ・コブラは消え、ヘビー級へと転向した高野がリングに登場した。