続編であるテレビシリーズ「コブラ会」のシーズン6 パート1、大根仁が監督・脚本 ..


アフリカ系を超え、アメリカを代表するエンターテイナー。生まれながらの芸人の子で、ハーレムのボードヴィルショーの初舞台は3歳。
身長が165㎝しかない。そして頭がラッキョウ型で大きく、脚は短い。若いころはそれなりに肉がついていたんですが、次第に痩せていく。つまり、見た目ははっきり言って貧弱。
それを芸と気迫で圧倒していく。ブラック系の方の天性の敏捷な身のこなし。キレが良く、スピーディー。タップダンスの至芸はもちろん、ほんのちょっとした所作なんかもしなやかで、決まる。決まりすぎる。歌もブラック・ミュージックの伝統を受け継ぎ、鍛え上げ・磨き抜いかれたジャジー&ファンキーヴォイスで、またスケールが大きい。楽器もできる。演技やパフォーマンスを超えた凄みがある。
当然一世を風靡し、「ミスター・エンターテイメント」と呼ばれた。
日本ではサントリーウィスキーのCMに出たこともある。
映画の代表作は『ポギーとベス』(Porgy and Bess 1959)。シナトラ一家の一員となってからの『オーシャンと十一人の仲間』(Ocean's Eleven 1960)、『七人の愚連隊』(Robin and the Seven Hoods 1964)。
代表曲は「キャンディ・マン」(The Candy Man Can 1972) 、テレビでは冠番組「サミーデイビスジュニアショー」(The Sammy Davis Jr. Show 1966)など。
熾烈な人種差別を受けた。そして卓越した芸は人種差別の壁を軽々と突き破った。


『クリード』続編、2018年撮影をシルヴェスター・スタローンが示唆

英国生まれのソフィスティケイティッド・ダンディ。10代で家出してアクロバットチームに参加して全米を回る。セレブ女性に気に入られて上流社会のエレガンスを身につけた。ハリウッドでは「第二のゲーリー・クーパー」として売り出され、陽気だけど軽薄ではなく、ダンディで意外に!? 生真面目。
最初は「大根」なんて言われていたものの、キャリアを重ねるうちに「大人な」「余裕の」演技と評価は変わっていった。共演女優を輝かせる俳優なので、フィルモグラフィーを並べていけばそのまま美人女優リストができあがる。クラーク・ゲイブルみたいに女を征服するのではなく、もっとロマンチック。ラブシーンも上手で、名シーンが多い。
公私ともにリッチで優雅なバチュラーのおじさまです。
代表作はアルフレッド・ヒッチコック監督の『北北西に進路を取れ』(North by Northwest 1959)、大女優キャサリン・ヘップバーンとジェームズ・スチュアートという豪華キャストの 『フィラデルフィア物語』(The Philadelphia Story 1940)、1930~40年代が全盛のスクリューボール・コメディの傑作『ヒズ・ガール・フライデー』(His Girl Friday 1940)など。

準主役のはずなのに、出る映画出る映画、みな主役を食ってしまう偉大な性格俳優。身長が169cmで、小さい。小男の悲哀を気概に変え、誇り高く粋で洗練されている。そして時折見せるアンモラルさ。キャリアは60年を誇る。
『カサブランカ』(Casablanca 1942)のフランス人の警察署長、『汚名』(Notorious 1946)は愛するイングリッド・バーグマンに裏切られる富豪のスパイ、どっちも敵役のはずなのに、ついクロード・レインズ側にぐらりと傾いてしまったのは私です。『アラビアのロレンス』(Lawrence of Arabia 1962)ではイギリス軍の重鎮、と代表作は錚々たる映画史に残る名作ばかりなので、見つけやすい。そしていったん見たら忘れられない。
『透明人間』(The Invisible Man 1933)が出世作、包帯を巻いた姿でスクリーンに現れ、顔を見せなくても演技力で観客を魅了してしまう。『オペラの怪人』(Phantom of the Opera 1943)では初のトーキー、テクニカラー。自分には全く釣り合わない相手に密かに思いを寄せる男の姿にまたも感動。
墓碑には「すべては一度、すべては永遠であり、魂は、かつて生き、永遠に生きる」と刻まれている。

映画「コブラ」の舞台裏【スタローンが「コブラ」をシリーズ化しなかった理由とは?!】 ..

サイレント映画時代にハリウッドで活躍した日本人俳優。1が早川雪洲、2が上山草人。
宮城のお医者さんの息子。早稲田大学に入ったのに中退して新劇に夢中。侠気の強い人で、人の面倒も見るがけんかっ早い。演劇学校に入っても退学、劇団に入って作っても退団・解散。新天地アメリカにわたり、ロサンゼルスの在日アメリカ人向けの雑誌を作っていた。
大スター、ダグラス・フェアバンクスの『バグダッドの盗賊』(The Thief of Bagdad 1924)に新劇の経験を見込まれて出演。悪役のモンゴル王子役。ごらんのとおり、「史記」だの「十八史略」だのに出てきそうな容貌魁偉・エキゾチシズム極まれりのキャラは大評判となり、ハリウッド映画に引っ張りだこ。役柄は中国人、チベット人、ペルシャ人、魔法使い…。ハリウッドのトップスターと次々共演。役作りにも余念がなく全盛期は天下の名優とうたわれる。日本からアメリカにやってくる人たちの面倒見もよかった。
ただし英語が話せず、トーキー時代には日本に戻った。『七人の侍』(1954)にはセリフなしの琵琶法師役で出ています。日本映画史に残る!? 巨根なんだそうです。 出演作はほかに『支那の鸚鵡』(The Chinese Parrot 1927)など。

103歳まで長生きした。映画出演は87歳まで。莫大な遺産は寄付、長男マイケル・ダグラスは父をもしのく俳優・製作者として有名。ご本人は再晩年までエネルギッシュで動向が伝わってきた。
ストレートで、ハングリー。アメリカ的合理主義の固まりのような男性像がカーク・ダグラスの持ち味。出世作『チャンピオン』(Champion 1949)での上昇志向のボクサー、『探偵物語』(Detective Story 1951)の非情な刑事、『悪人と美女』(The Bad and the Beautiful 1952)でのドライなプロデューサーなど。派手に感情をぶつける演技スタイル。共感はできないけど常に説得力がある。本人も、「善人より邪悪なキャラを演じたかった」と語っている。プロデューサーとしての手腕も確かで、『OK牧場の決斗』(Gunfight at the O.K. Corral 1957)や『スパルタカス』(Spartacus 1960)などに主演・製作。
熱心な民主党員で社会活動にも積極的。 …他のスターみたいに酒だの女だの、全然出てこない! ひたすら仕事。 だからこそ息子も、優秀なのでしょうか。
ハリウッドスターにしては実に珍しく、自伝は自分で書いた。タイトルは「くず屋の息子」。
ソ連から移民してきたユダヤ人の息子。負けん気が強く、裸一貫から身を起こし、苦学して努力を重ね、成功した立志伝中の人、ですね。

『コブラ』(1986)/初めて観たけど80年代ってもはや時代劇だな

エジプトの上流階級の豪商の子で秀才。大学を出てイギリスで演技を学び、エジプト映画界でスターの座を驀進していた真っ最中、『アラビアのロレンス』(Lawrence of Arabia 1962)のアラブのアリ族長の役で、主演のピーター・オトゥールとともに国際スターの座に躍り出た。
浅黒い肌、エキゾチックでノーブルなハンサム。
性格は真面目でおっとり。教育があり、英語が話せて、演技もできる。西洋文明にも明るい経歴と人柄が買われた。
美人女優と次々に共演、デビット・リーン監督に再び、今度は主役で起用された『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago 1965)も大成功をおさめる。
ただし、本国エジプトはシャリーフに出国ビザしか出さなかった。入出国に手間取っては仕事もできない…と一人息子をもうけたエジプトきっての美人女優と離婚。以後、エトランゼとして世界を飛び回りながらも独身を貫き、後年祖国にもどり、離婚した前夫人と再び結婚。
趣味はプリッジ。「オマー・シャリフ杯」の世界大会を主催したこともある。
晩年はフランス映画『『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』(Monsieur Ibrahim et les fleurs du Coran 2003)』(Monsieur Ibrahim et les fleurs du Coran 2003)でセザール賞主演男優賞を受賞。俳優人生に有終の美を飾った。 カイロで心臓発作で死去。享年83。

親しみやすい人柄、調子が低くて丸味をおびた独特のエロキューション(ジミーの映画は吹き替えではなくぜひ字幕版を! )、少し長すぎるような手足。ちょっと猫背ぎみにも見える長身をもてあますような身のこなし。かげのないまなざし。どこからみても善意のアメリカ人。
若手・フレッシュスター時代は『スミス都へ行く』(Mr. Smith Goes to Washington 1939)などでWASP(アメリカの白人中間層)の理想主義を好演し、戦後は50年代が全盛期。『ウィンチェスター銃'73』(Winchester '73 1950)などの西部劇、『裏窓』(Rear Window 1954)『めまい』(Vertigo 1958)などのヒッチコック作品、『翼よ!あれが巴里の灯だ』(The Spirit of St. Louis 1957)など、アメリカ空軍予備役少将(ハリウッドの俳優としては最高位)としての自負を示す航空映画。
キャリアを通じ、『グレン・ミラー物語』(The Grenn Miller Story 1953)に凝縮されるようにハリウッドがうたいあげたアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを象徴していた。
本人の一番のお気に入りの映画は、夢見る大人を描き、いつしか取り巻く人々を温かい気持ちにしていくウェルメイドの隠れたる佳作、『ハーヴェイ』(Harvey 1950)なんですって。

スタローン版ダーティハリー ブライアン・トンプソン in 『コブラ』

颯爽型色男。鼻の下のちょびヒゲ、細長いプロポーション。ボクこそ美男子ってかんじ。
タスマニア生まれ。父親は大学教授。いいトコのお坊ちゃんのはずがで17歳で船のボーイとなり世界を放浪。オーストラリア・イギリスを経てハリウッドにわたり『海賊ブラッド』(Captain Blood 1935)『進め龍騎兵』(The Charge of the Light Brigade 1936)『ロビンフッドの冒険』(The Adventures of Robin Hood 1938)などの海賊もの・スワッシュバックラーものに大活躍。
私生活でもモテるモテる。そもそも映画出演だって、ジゴロぶりにまいって結婚した妻の口きき。映画自伝には武勇伝がてんこ盛り。バイでもあったとのエビソードあり。さらに10代の女の子に目がなく、遊んで、訴えられて無罪を勝ち取り、「フリンのようにうまくやる」なんて言葉が生まれたりした。
血の気が多く、お酒を飲んですぐケンカ。隠そうとしてもファシストびいきの顔が出てくる。奇行・奇癖は数えきれない。出た映画よりよっぼどゴシップやエピソードが波乱万丈。
全盛期は短く、アルコール中毒とクスリ中毒による心臓マヒでわずか50歳で世を去った。

ハリウッドのサイレント映画の三大巨匠。俳優でもあり、監督・監督・美術・衣装、全部こなす。俳優としてはフランス映画の『大いなる幻影』(La Grande Illusion 1937年)、『サンセット大通り』(Sunset Boulevard 1950)、どちらも空前絶後の名作です。
で、監督としては。『アルプスおろし』( Blind Husbands 1919)で不義密通をたくらむこわさ、『悪魔の合鍵』(The Devii's Pass Key 1919)では女が金に困った富豪婦人に売春をすすめるこわさ。『愚なる妻』(Foolish Wives 1921)にいたっては、カラムジンにせ伯爵がふたりの女をロシア貴族の姪をいつわってモンテ・カルロの超一流ホテルにのりこみ、富豪の女を狙うつもりが賭博で有り金をすってしまう。ついに部屋つきのメイドに手を出して貯金を奪い、さらに若い娘に手を伸ばし、にせ金づくりの父親に背中をひと突き刺されて戸外の下水に放り込まれ、そのカラムジンの背中からあふれる血を走ってきた黒猫がなめる…。とまあ、濃いお話。
実力はもちろんものすごい。そして絶対妥協しないもんだから、行くところ行くところトラブルだらけ。しかし残した作品は今なお不滅の輝きを残す、黄金の悪魔。


スタローンのコブレッティ刑事 コブラ の映画レビュー・感想・評価

1910~20年代に活躍した、サイレント映画の美男スター。正統派の王子様・貴公子顔で”Perfect Lover”と呼ばれた。ああ、それなのに美男薄命「ハリウッドでの薬物中毒死第1号」との称号!? がついてしまった。当時、白皙の銀幕の貴公子の死は世界に衝撃を与えた。
映画の撮影中に大けがをして、当時のハリウッドは黎明期・創世期。休むことなど許されず、痛み止めのモルヒネを打って撮影続行、という恐ろしいお話。クランクアップして、休ませるなんてとんでもない。働いて働いて。若くして結婚し、子どももいた。贅沢な生活を維持するにはモルヒネを打ち続けるしかなかった。…もっとも、薬の前はアルコール依存の噂もあった。仕事がハードすぎたのか、仕方がなかったのか、それとも本人のもともとの気質があったのか。時のヴェールに閉ざされて、真相はわからないのですけど。
ついに撮影中に倒れ、サナトリウムで生涯を閉じた。享年31。残された若妻は生涯再婚せず、反麻薬の社会活動を続けました。
主な出演作は『國民の創生』(The Birth of a Nation 1915)、『カルメン』(Carmen 1915)、『イントレランス』(英語: Intolerance 1916)など。

スタローン 第72回カンヌ国際映画祭 - スタローン、「コブラ ..

この度、原題『Escape Plan: The Extractors』改め、『大脱出3』の公開が2019年秋より決定しました。
シルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、2大アクション・スターのW主演が話題となり大ヒットを記録した『大脱出』。そして、現在絶賛公開中の続編『大脱出2』に続き、スタローン演じる脱獄のプロ・ブレスリンが帰ってきました!
『ロッキー』『ランボー』『エクスペンダブルズ』に続く、スタローン主演で贈る新たなシリーズ代表作となった『大脱出』シリーズ。1作目では大海原に浮かぶ監獄要塞“墓場”を攻略し、2作目ではコンピュー
ター制御の最強セキュリティの監獄“ハデス”に囚われた仲間を救った彼が3作目となる本作で挑むミッションは、テロリストに囚われた社長令嬢の救出!シリーズ最高のタフな状況に置かれた彼が、知力と体力、そしてカリスマ性をフル稼働させて挑みます!

『Stallone NEWS』『コブラ』リブート企画『デッド ..

ピーター・カッシング・クリストファー・リー、ヴィンセント・プライスは「三大怪奇スター」。
由緒正しきピルグリム・ファザーズの子孫。家も裕福。本業は俳優ですがイェール大学で美術史を学び、グルメであり料理本も出している。洗練された紳士でありおまけにクラシックな美男。
ご本人は「マーロン・ブランドやポール・ニューマンみたいなスターが出てきて、私みたいなタイプの俳優は前時代になってしまった。」と活躍の場を怪奇映画に移した理由を語る。
『肉の蝋人形』(House of Wax 1953)、『ハエ男の恐怖』(The Fly 1958)、『アッシャー家の惨劇』(House of Usher 1960)などの低予算の映画で莫大な興行収入を上げている。
顔もいいが声もいい。大御所としてマイケル・ジャクソンのMTV「スリラー」のナレーションも務めている。
ティム・バートンが小さい時から大ファン。遺作はティム・バートン監督の『シザーハンズ』(Edward Scissorhands 1990)。自分を敬愛してくれる後進に恵まれて、さぞ幸せだったことでしょう。
『八月の鯨』(The Whales of August 1987)にも出ている。怪奇映画に移る前だと『ローラ殺人事件』(Laura 1944)。

Watch コブラ会 | Netflix Official Site

代表作が多すぎて困ってしまう。超一流監督の超一流作品の主演作がずらりと並ぶ。全部、骨太で、絶対見るべき! の映画ばっかり!!
出世作は『サンセット大通り』(Sunset Boulevard 1950)。All right, Mr. DeMille, I'm ready for my close-up.(「デミル監督、クローズアップを」)のラストシーンは身の毛がよだつというか。 サスペンス映画『第十七捕虜収容所』(Stalag 17 1953)、要領と地頭がいい下士官捕虜。西部劇の『ブラボー砦の脱出』(Escape from Fort Bravo 1953)、ロマンスもの『麗しのサブリナ』(Sabrina 1954)でオードリー・ヘップバーンと共演。シリアスな『喝采』(The Country Girl 1954)はグレース・ケリー。『慕情』(Love Is a Many-Splendored Thing 1955)の永遠のテーマソングに聞きほれ、『ピクニック』(Picnic 1955)はキム・ノヴァク。戦争アクション『戦場にかける橋』(The Bridge on the River Kwai 1957)。
いわば平均的なハンサム。画面でも容貌は目立たない。演技もセリフも誇張がない。素顔も誰からも好かれるタイプで真面目なんだけど生真面目じゃない。大スターなのに心を割って話せる、飾り気のない友達付き合いみたいに話せる。美談が山ほどあるスターです。
…なのにたった63歳の若さで、自宅で孤独のうちに亡くなっているのが発見された。…言葉が見つからない…。

恐竜たちが世界中へ解き放たれてから4年後の世界を描く『ジュラシック・ワールド/炎の王国』の続編.

ハリウッドの肉体派男性スターのさきがけ。ターザン役者などはあとが続かないのが常なんですが、ヴィクター・マチュアは看板スター・人気スターとして一時代を築いた。
『紀元前百万年』(One Million Years B.C. 1940)では原始人の衣装で金髪の美女と一緒に恐竜と戦う、との設定の娯楽映画。大ヒット。
西部劇のレジェンド『荒野の決闘』(My Darling Clementine 1946)で悪役のドク・ホリデイ、フィルム・ノワールの傑作『死の接吻』(Kiss of Death 1947)を演じ、名声を不動のものとする。
美女にもモテるモテる。(浮名を流したのはエリザベス・テイラー、リタ・ヘイワース、ラナ・ターナー、ベティ・グレイブル、…まだまだ続く…)人柄も、悪く言う人いない。
出る映画出る映画、次々とヒットして大いに稼ぎ、大衆的人気は申し分なく、大成功した俳優さんだったにもかかわらず、 「サンダル・メロドラマ俳優」(『サムソンとデリラ』(Samson and Delilah 1949)も当然大ヒット)と軽んじられることも多かった。
本人も気苦労も相当だったんでしょう。46歳の若さで「もう十分稼いだから」と引退してしまう。後日カムバックするんですけどね。

頂点を極めたシュワと敗れたスタローン。Nitflix『スライ』と ..

イタリア生まれ。マルセイユに移住し、パリに出てエディット・ピアフに歌と才能を見出され、『枯葉』が大ヒット。シャンソン歌手として恵まれたスタートを切り、映画に進出。確かな演技力で観客をうならせた。戦後のフランスが産んだ大スターの一人。
父親は共産主義の活動家で、移民の家庭は貧しく、歌だって演技だって、学校で習ったわけではない。若き日のモンタンは勝気で負けず嫌いで努力家・完璧主義者。やると決めたことに全身全霊を打ち込むタイプ。ピアフは、6つ年下の若い恋人が、さぞいとおしかったことでしょう。
ピアフは若い男性エンターテイナーを見つける才能に長けた女性で、モンタンが一人前になったあたりで2人は別れ、結婚した女性は女優のシモーヌ・シニョレ。おしどり夫婦として、いい男・いい女なんですから、紆余曲折はあったものの、添い遂げた。
70歳で心臓発作で亡くなっている。つまり病み衰え、弱っていく場面はなかった。生涯、ステージに映画に真摯に全力投球、年を重ねるほどに男の色気・フェロモンは鮮やか。『仁義』(Le Cercle Rouge)(1970年)では青二才のアラン・ドロンを圧倒。『愛と宿命の泉』(Jean de Florette)(1986年)ではジェラール・ドパルデューを圧倒。
初期の代表作は『恐怖の報酬』(Le Salaire de la peur)(1953年)。

豪華すぎるにもほどがある! 1986年に日本を騒がせた洋画たち (2/2)

全王様はジャンプキャラ扱いでいいのかね。
ジャンプ本誌にはでなかったけど、続編や関連作で出たならいいというなら、マジンガーZ経由でケン・イシカワキャラが乗り込んできかねんぞ……

『ランボー』シリーズ /『コブラ』 『オーバー・ザ・トップ』/『ロックアップ ..

1950年代後半から60年代にかけて、壮大なスケール・重厚なストーリー、巨大スクリーンに繰り広げられる端正な映像美の超大作・大河ドラマをつぎつぎと生み出したイギリス映画の巨匠、デヴィッド・リーン監督絶頂期の『戦場にかける橋』(The Bridge on the River Kwai 1957)では捕虜のイギリス人将校、『アラビアのロレンス』(Lawrence of Arabia 1962)ではアラブの王様を演じ、以後名優の名をほしいままにした。
知性派で演技派。舞台出身でどんな役でも演じられる。カメレオン俳優とも異名をとり、初期の映画では細面で細身、目がギョロギョロしててひたすら不気味だったりする。一番得意なのは実は英国流ブラックユーモアがきいたコメディ路線だったりする。真面目な顔してかっ飛んだ演技の佳作はいくつもあるのですが、超大作の前には、どうしても出てくる、話題に上ることが少ないのが、惜しいといえば惜しい。
本人は嫌がっていたそうですが『スター・ウォーズ4・5・6』(Star WarsEpisode IV・V・VI 1977・1980・1983)のオビ=ワン・ケノービを見ていると、年をとればとるほどいい顔になってる。ウットリしちゃう。

映画『ベスト・キッド』(1984)の30年後を舞台とするドラマシリーズ『コブラ会(原題:Cobra Kai)』の米国版予告編が公開された。

悪役とコメディアンの両刀遣い。ゴツゴツした顔で不機嫌なハイミスター(いまどきこんな言葉使うのかしら)が似合う。バリトンボイス(クラーク・ゲーブルみたい)で早口のニューヨーク訛り。
巨匠ビリー・ワイルダー監督の『恋人よ帰れ!わが胸に』(The Fortune Cookie 1966)の弁護士役で大ブレイク。続くニール・サイモンの舞台作の映画化『おかしなふたり』(The Odd Couple 1968)、絶好調で作られたシリーズもの『ラブリー・オールドメン』(Grumpy Old Men 1993)などで、ジャック・レモンとコンビを組んで抱腹絶倒の共演作が目白押し!
せかせか動くレモンと憮然としたマッソー。ミドルからシニア世代まで、男2人の掛け合いが楽しい。それと、60年代から70年代のレトロなアメリカやキュートな女性陣のファッションなどの風俗も、「来てる~! 」感満載!
オードリー・ヘップバーン主演の『シャレード』(Charade 1963)の敵役。
大柄で、少年の日、ニューヨークの路上で、のちの世界ミドル級チャンピオン、ロッキー・グラジアノを叩きのめした!? との武勇伝を本人は語っている。
79歳で心臓発作で死去。相方のジャック・レモンも後を追うように翌年に亡くなった。